アイタの言語

北野浩章

 私が普段調査をしている言語は、フィリピン・ルソン島中部のパンパンガ州で話されているカパンパンガン語(Kapampangan)だが、今回、アイタ(Aita, Ayta)と呼ばれる人々の言語の実態を知るための予備調査を行った。

 東南アジアはほぼどこでも多民族社会である。私が調査の拠点にしているパンパンガ州のアンヘレス(Angeles)には、かつての米軍基地、クラーク・フィールドがある。夜の歓楽街は、米兵がいなくなった現在も外国人観光客相手に存在している。観光客だけではなく、韓国からのキリスト教関係者なども多く住んでいるようだ。日本人の観光客はあまり見かけないが、フィリピン人の恋人や妻に会いに来る日本人男性はかなりいるものとみえ、私も(日本人であるとわかれば)まずそのように見られてしまうし、実際、日本に住んでいたことがあるという人(の親戚、知り合い)には、しょっちゅう会う。外国人だけでなく、華人(現地社会に根を下ろした中国系住民)や、フィリピン国内の他地域からの移住者(ビサヤ人など)も多く住んでいる。

 このように、アンヘレスの町全体が相当な多言語社会である。しかし、話されているのは大言語ばかりではない。ここで紹介するアイタの人々の言語は、危機に瀕した言語である。

 アイタは、現在の(マレー系)フィリピン人がやってくる前からフィリピンの島々に住んでいた先住民族だと言われている。彼らははっきりとした肉体的特徴を持っている;色は浅黒く(アフリカ人と同じくらい黒い人もいる)、頭髪はちぢれていて、背はあまり高くない。色の黒さから「ネグリート」とも呼ばれてきた人々である。ピナトゥボ周辺に住むアイタだけではなく、フィリピン各地にネグリートの人々が住んでいるらしい。1991年のピナトゥボ火山の噴火による影響を最も深刻に受けたのは、ピナトゥボの山腹に暮らしていたアイタの人々であった。

 クラーク・フィールドの広大な敷地に接して、サパンバト(Sapang Bato)という集落がある。この集落の一部、小高い丘の上に、アイタの人々が暮らす貧しい地区がある。世界の言語のカタログである"Ethnologue: Languages of the World"(SIL International)を見ると、アイタの中でも大きな集団であるマガンチ・アイタ(Mag-Anchi Ayta)の項に、サパンバトに何人か、マガンチ・アイタ語の話し手がいる旨の記述がある。

 2001年12月、このサパンバトを訪問した。ジプニーでクラーク・フィールドのはずれまで走り、ピナトゥボ火山の爆発で廃墟となった米軍施設を横目で見ながらサパン・バトへ通じる道を歩く。私の調査協力者で友人のマイク・パンギリーナンによると、ここに別の地域から来たアイタが一人いるらしいとのことで、かつて集落の長であったラモーン・ティグラオさんを訪問したのである。

 ラモーンさんの紹介で、翌日我々はルシアーノ・セルバーノさんと会った。彼は、かつてタクンドゥ(Takundu)と呼ばれた土地の出身だそうである。残念なことにタクンドゥの言語はほとんど覚えていないとのことだったが、いくつかの簡単な表現を教えてくれた。例えば、"What is your name?"に相当する表現は次のようになる(マガンチ・アイタ語での表現も併記しておく)。

タクンドゥ語:Hinu i langan mu?
マガンチ・アイタ語:Anya i ngalan mu?

また、"Where are you going?"は、

タクンドゥ語:Antuy lakun mu?
マガンチ・アイタ語:Iri ka maku?

となるそうだ。

 このルシアーノさんは、アブーレン・アイタ(Aburlen Ayta)というまた別のアイタの集団の言語を知っているのではないかということで訪問したのであるが、タクンドゥ語がアブーレン・アイタ語と同じものかどうか、残念ながらわからない。しかし、今回の調査旅行では、ラモーンさんやルシアーノさんの他にもさまざまな関係者と会うことができた。彼らからさらに詳しい話が聞ければ、いずれアイタの言語の現状が見えてくるかもしれない。


アイタの集落、パンパンガ州カルンパン(Calumpang)にて(2002年3月6日撮影=北野浩章)

注記:2005年9月に小修正。


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